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大塔の歴史・文化  
   
【大塔宮護良親王伝説】
 
護良親王   遥かな思いを想いを胸に、波乱の時代を駆けた
大塔宮護良親王伝説
 
今は静かで豊かな自然に恵まれた大塔村は、かつて時代を変革させる舞台であった。

南北朝時代、後醍醐天皇の英断は、建武中興の大業として成った。なによりも、天皇を助けた第一人者は、この地の名の由来となっている大塔宮護良親王であろう。当地の郷族戸野兵衛らに支えられ、乾坤一擲の偉業に立ち向かった。今も尚、戸野氏の子孫たちによって、当時の証が大切に残されている。



 大塔宮は、後醍醐天皇の皇子として、幼くして比叡山に入り、大塔に住んだので大塔宮と称され慕われた。大塔宮は、皇子という高貴な身分に似合わず学問だけではなく、勇壮な性格をも合わせ持っていた。後醍醐天皇が鎌倉幕府の倒幕を企て、隠岐に流された後、大塔宮は、楠木正成の赤坂城へ逃れた。しかし不運にも落城、大塔宮は、さらに熊野へと逃避の旅へ出た。熊野へと向かう途中、大塔宮は、夢枕で天のお告げをうけた。「熊野にあらず。吉野に向かうが良い」思案の末、決断した。海岸沿いから奥深い山々への道へと。吉野を目指したのである。幾重にも山が重なり、渓谷に隔たれた吉野の里は、険しい山道の彼方にあった。途中、辻堂で休息することにした大塔宮は、山肌にある民家の病人を祈祷し、快方に向かったことで、その郷族に非常な信頼を寄せられることとなった。その郷族が、戸野兵衛である。



大塔宮は、戸野兵衛に身分を打ち明け、大塔宮は「護良」と名を改めたのである。伊勢、吉野、熊野の豪族は大塔宮護良親王の守護についた。



この地の人々の素朴さ、暖かさに親しみ、時を重ねていった親王だが、父である天皇の無念を晴らし、王政復古の時を心に願って、護良親王は立ち上がった。吉野、熊野をはじめ近隣の精鋭軍が親王を支えた。出発の前夜、戸野兵衛にこれまでの労をねぎらい、身の回りの品々を分け与え、今後を託したのである。



そしてついに鎌倉幕府を倒し、建武の新政によって世を鎮めたが、武家政治を望む声に後押しされた足利尊氏が台頭してくると、その力を恐れた後醍醐天皇はついに親王を取り押さえた。



親王はやがて鎌倉の足利直義の許に置かれ、幽閉されたのである。



大塔の名は、この歴史に因んで明治22年の村制施行の際に名付けられたのである。

 
大塔村(町)の名前の由来となった護良親王を偲び、郷土館のシンボルとして建立した大塔宮護良親王馬上像  
   
大塔宮護良親王拝領の  
大塔宮護良親王拝領の
佩刀(殿野・西教寺)
 
 
大塔宮遺跡碑
大塔宮遺跡碑
 
竹原八郎の墓
竹原八郎の墓
 
戸野兵衛の墓
戸野兵衛の墓  
   

   
【文化財】  
   
維新胎動の地   維新回天の夢を抱き、儚く散った
天誅組を偲ぶ
 

攘夷祈願の為に、孝明天皇が大和に行幸される事を知った公卿の中山忠光は、翌日志士達を集め五條で挙兵したが、天皇の行幸は中止となり、この事実が伝わらず、近在の諸藩に攻められ志士達は離散する事となった。
(1863年8月13日の出来事)



 
   
天誅組本陣
文久3年(1863年)維新回天を夢見た「天誅組」は、五條市から大塔村天辻へと本陣を移し、十津川郷士の助けを借りて戦いましたが敗れ、離散していきました。
当時、天誅組を助けた鶴屋治兵衛の碑が本陣跡にあります。

 
天誅組本陣記念碑   鶴屋治兵衛の碑  
はかなさを今に伝える鶴屋治兵衛の碑
天誅組本陣をしのばせる
記念碑
 
大般若経   大般若経

安楽寺に保存されている大般若経。



600巻にも及ぶ大般若経は、4年に1度(八朔大法要9月1日)しか開帳されない貴重な資料。



釈迦如来座像



光円寺に安置されている、藤原時代の釈迦如来座像。村内最古の仏像である。






 
釈迦如来座像
 


【惣谷狂言・篠原踊り・阪本踊り】
   
写真1   惣谷狂言 (1月25日)
鬼狂言、狐つり、万才、鐘引きなど、八曲が伝わる惣谷狂言。村の人々によって演じられます。
毎年1月25日、惣谷の天神社で2曲程度演目を変えながら公開されています。

「鬼狂言」 鬼の呵責ぜめにかかわらず、たじろがない猛将朝日奈に困惑して、地獄へ連れていくのをあきらめる話。
「狐釣狂言」 仕掛けられた罠と知りつつ、たまらず食いついて化けの皮が剥がれる狐の話。



「鐘引狂言」 長崎ヘ商いに下る夫を見送った妻が、早速坊主を引き入れて祝宴に耽り、突然夫が帰宅すると慌てふためいて鐘に坊主を隠すという話。



「かなぼうし狂言」 寺を譲られた小坊主が、ちぐはぐな客あしらいを繰り返す話。



他に「鳥刺狂言」「壺負狂言」「舟こぎ狂言」「万歳」が伝習されています。



 
   
写真2  
   
写真3
 
写真4   篠原踊り (1月25日)
1月25日に天神祭で奉納されます。歌も踊り方も種類が多い。太鼓踊りとして知られています。
 
写真5
 
写真6   阪本踊り (8月15日)
悲しい物語を伝える政吉踊りをはじめ、大文字屋、豊年など二十以上の踊りが伝わっています。
 
写真7
 
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